世界史語呂合わせ―後期古代~中世

世界史語呂合わせ、今度は後期古代から中世にかけてです。

後期古代から中世へ

527年 ユスティニアヌス帝の東ローマ帝国皇帝即位

語呂:東ローマで栄光担うユスティニアヌス

476年に滅亡した西ローマ帝国ですが、一方の東ローマ帝国は繁栄と混乱を繰り返しながら15世紀まで続きます。そんな東ローマ帝国の皇帝の中でも最も有名なのがユスティニアヌス帝。

東ゴート王国やヴァンダル王国といったゲルマン人の王国を滅ぼし、ローマ帝国の領土をかなり回復しました。また、ローマ法大全の編纂や聖ソフィア聖堂の建築など、さまざまな功績を残します。

531年 ホスロー一世の即位

語呂:ササン朝ホスロー一世ゴーサイン

ユスティニアヌス帝の即位とほぼ同じ時期にササン朝ペルシアに即位したのがホスロー一世。西では東ローマ帝国と争い、東では突厥と争って東西に領土を拡大します。

ホスロー一世の時代にササン朝ペルシアは最盛期を迎え、名君として知られています。

589年 隋の中国統一

語呂:楊堅誰も怖くない、隋統一

北周から禅譲を受けた楊堅は、国号を隋と改め、589年に中国全土を統一します。。西晋が滅亡し、南北朝時代になってから270年分裂状態にあった中国が統一されました。

隋は581年から618年のわずか30年弱しか続きませんが、遣隋使の存在で知られるように、日本にも大きなインパクトを与えました。隋の後は、中国史でも大きな存在である唐の時代となります。

618年 唐の成立

語呂:李淵立ち、浪費辞めろと隋倒す

隋の第二代皇帝煬帝は大運河の工事や数々の遠征が仇となり、人民への負担を大きく増やしてしまいます。煬帝の死後は反乱が起こり、反乱者の一人である李淵が元号を唐と改め、唐王朝が成立しました。

唐は618年から907年までほぼ300年間続きます。最盛期には中央アジアの砂漠地帯からベトナム北部まで支配下に収め、「唐帝国」とも呼ばれました。政治体制や文化は、中央アジア、東南アジア、朝鮮半島、日本などの周辺諸国に大きな影響を与えました。なお、唐が中国全土を統一するのは628年、李世民の時です。

622年 マホメットのメディナ聖遷

語呂:メッカではろくに増えない信者たち

世界三大宗教のひとつであるイスラム教が誕生するのは紀元後610年頃です。メッカに住んでいたマホメットが天使から唯一神の啓示を受けたとし、イスラム教が生まれます。

人口わずか1万人程度の町でマホメットとともにイスラム教を信奉したのは200人ほどに過ぎませんでした。やがて、後ろ盾を失ったマホメットは迫害され、622年にメディナに移ります。このマホメットの移動は後に「聖遷(ヒジュラ)」と呼ばれます。

632年 マホメット死去、イスラーム帝国の開始

語呂:教祖逝き、無味になったかカリフ国

メディナに移ったマホメットは632年に死去するまでの10年間、イスラム教の布教を続けます。その死後、イスラム教徒たちはマホメットの後継者(カリフ)を選出します。特に第四代カリフまでは選挙で選ばれたため、正統カリフと言います。

イスラム教徒たちはマホメットの死後、ササン朝ペルシアを滅ぼし、ビザンツ帝国(東ローマ帝国)を攻めるなどし、その後に繁栄するイスラーム帝国の基盤を作り上げました。

663年 白村江の戦い

語呂:相手方ろくろく見ないで白村江

白村江の戦いは日本史で重要な出来事ですが、世界史でも出てきます。日本だけでなく唐や新羅、百済などが登場しますからね。

日本は百済を支援するために兵士を派遣しますが、結果はご存知のとおり、唐と新羅の連合軍に大敗します。この時、日本は唐に攻め込まれる危機的状況にありましたが、唐を取り巻く国際環境の変化によって難を逃れています。

732年 トゥール・ポワティエの戦い

語呂:情けなさに落ち込むウマイヤ、トゥール・ポワティエの戦い

正統カリフ時代から内部の混乱を抱えつつ、破竹の勢いで支配地域を拡大していたイスラーム帝国ですが、8世紀にはイベリア半島まで支配下におさめていました。この時のイスラーム帝国はウマイヤ朝です。

さらに北上するウマイヤ朝を迎え撃ったのがフランク帝国の宮宰カール=マルテル。現在のフランス中西部に位置するトゥール・ポワティエの間でカール=マルテルは勝利を収め、ウマイヤ朝は北進を断念することになります。

962年 東フランク王国のオットー一世、神聖ローマ皇帝として即位

語呂:オットーの苦労に報いて神聖ローマ帝国

選挙によって東フランク王国の国王になったオットー一世は、962年に神聖ローマ皇帝となります。以後、神聖ローマ帝国はナポレオンによって完全に消滅させられるまで、850年近く続きます。

なお、神聖ローマ帝国と呼ばれるようになったのは13世紀頃からです。また、帝国といっても実質的にはドイツ・オーストリアを中心とした諸邦の寄せ集めに近い存在でした。ドイツの文豪ゲーテはこのことを皮肉り、「神聖でもなければローマ的でもなく、帝国ですらない」と言ったと伝えられています。

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