世界史語呂合わせ―近代①

19世紀は世界史において最もボリュームのある時代です。

ヨーロッパだけでなく、アジアや中東地域、南北アメリカやアフリカ大陸でも歴史が大きく動き、現代につながる様々な問題が噴出してきます。

世界史語呂合わせ―近代①

1795年 総裁政府の成立

語呂:ひとりではなく5人の総裁まとまらず

1794年のテルミドールの政変でロベスピエールらジャコバン派が失墜すると、今度は旧ジロンド派を中心とする穏健共和派が権力を握ります。彼らは5人の総裁と二院制の立法議会によって統治を行う総裁政府を1795年に樹立しました。

しかし、この政府は革命派のブルジョワ階級を優遇し、また革命の混乱を上手く収集できなかったため、民衆からはとにかく人気のない政府でした。そんな中、民衆反乱を鎮圧し、イタリア方面での対オーストリア戦争で活躍したナポレオン・ボナパルトが次第に権力への階段を昇っていきます。

1796年 清朝で白蓮教徒の乱が発生する

語呂:清朝は白蓮教徒に一難苦労

19世紀前後の時代はフランスばかりに注目が集まりますが、東アジアでも大きな動きがありました。1796年には清朝で白蓮教を信奉する民衆が反乱を起こし、大きな動揺を与えます。反乱の背景には重税に対する民衆の不満がありました。

なお、白蓮教は14世紀の元の時代に起源をもつ秘密結社的な宗教で、元朝時代の紅巾の乱や、日本も関わった1900年の義和団事件にも関わっています。

1799年 フランス統領政府の樹立

語呂:外圧に否!救急の統領政府

政治的腐敗に、オーストリアなどの反革命国との対外戦争、ジャコバン派やブルボン王党派など国内の反体制派の動きなど、外観内憂の総裁政府でしたが、1799年にエジプト遠征から帰国したナポレオン・ボナパルトがクーデタを起こし、ついに崩壊します。

1799年からナポレオンが皇帝に即位する1804年までを統領政と言います。この時期には、対外戦争の終結、民法典の制定など、フランス革命によって生じた国内外の問題の多くが一挙に解決します。しかし、対外的な危機はナポレオンの皇帝即位後に再燃し、ナポレオン戦争として帝政の崩壊まで戦乱が絶えることはありませんでした。

1805年 トラファルガー海戦でフランスの敗北

語呂:トラファルガーいれば功績ネルソン

統領政の時代に和平を結んでいたイギリスとフランスですが、1805年には再び戦争状態となります。海軍力で勝るイギリスはトラファルガー海戦でフランス艦隊を壊滅させ、海上での覇権を握ります。これによって、ナポレオンはイギリス侵攻作戦を断念せざるをえなくなります。

一方、フランスは1805年の終わりにイギリスから支援を受けたオーストリア、ロシアの連合軍に対し、アウステルリッツの戦いで大きな勝利をおさめます。これによってトラファルガー海戦を帳消しにするだけでなく、ヨーロッパ大陸でのナポレオンの支配を確固たるものにします。

1812年 ナポレオンのロシア遠征

語呂:人は人に敗れもするのか?ロシアでは

1806年に南西ドイツ諸邦をひとつにまとめフランスの配下におさめたライン同盟の結成、ヨーロッパ大陸諸国にイギリスとの通商を禁じた大陸封鎖令など、ナポレオンのヨーロッパ支配は着実に進み、1811年には最盛期を迎えます。

しかし、大陸封鎖令に対する反発、スペインの王位継承問題への介入とスペイン戦争など、ナポレオンの支配をぐらつかせる要因もだんだんと大きくなっていきました。

大陸封鎖令に従わないロシアに対して仕掛けたロシア遠征は悲惨な失敗に終わり、これによってヨーロッパ諸国の反抗が始まります。ナポレオンは1814年に退位し、エルバ島に流されますが、1815年に脱出し、再びフランスで皇帝になります。しかし、今度はワーテルローの戦いで敗北し、大西洋のセント=ヘレナ島に流刑となり、その地で生涯を終えました。

1830年 フランス七月革命

語呂:七月に反動的な人は去れ

ナポレオンの流刑の後、フランスでは革命前のブルボン王制が復帰していました。最初のルイ18世は革命の成果も一部は認める穏健な統治を行いましたが、次のシャルル10世は革命前への復帰を思わせるような統治をおこなったため、民衆の不満がくすぶっていました。

そして1830年7月にパリで反乱が起こり、シャルル10世は追放されます。後釜には自由主義的なルイ=フィリップが国王となり、七月王制が始まります。七月王制を支持したのは主にブルジョワ階級で、体制もまた資本家寄りの統治を行いました。一方、フランスではこの頃から産業革命が本格化し、同時に資本家と労働者の対立も鮮明になっていきます。

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