世界史語呂合わせ―近代②

世界史語呂合わせ―近代②

1840年 アヘン戦争の開始

語呂:清の人は知れ、イギリスのひどさ

イギリスは18世紀以降、清にアヘンを売ることで貿易の利益を得ていました。清はアヘンに対して銀を支払いに使っていました。しかし、アヘン中毒患者の激増と銀の流出が問題となった中国では、林則徐が中心になってアヘンの取締りを強化します。

これを不服としたイギリスは1840年に戦争を仕掛け、中国に勝利、1842年に南京条約を結びます。南京条約では、香港の割譲、上海など5港の開港、賠償金の支払いや領事裁判権を認めるなど、清にとっては非常に不利な内容でした。

1848年 フランス二月革命とオーストリア三月革命

語呂:二月・三月革命で、旧勢力の力弱まる

七月王制下のフランスでは産業革命の進展によって資本家が力をつけていく一方、労働者階級が登場し、その生活の悲惨さが問題となっていました。当時の選挙権は一定の財産を持つ階層に限られていたため、中小資本家や労働者は選挙法の改正を求める動きを起こしていました。これを政府が弾圧しようとしたことが契機となって、1848年2月に革命が起こり、七月王制は倒れ、フランスに第二共和政が樹立します。

フランス二月革命は中・東欧にも波及し、オーストリアでは自由主義者や民族主義者が勢いづき、1848年3月にウィーンで3月革命がおこります。これによって旧体制を象徴する人物であったメッテルニヒが亡命し、1815年以来のウィーン体制は終わりました。

1852年 フランスでナポレオン三世が皇帝となる(第二帝政の開始)

語呂:投票で人は公認ナポレオン三世

2月革命を経て成立したフランス第二共和政ですが、樹立直後から政治的には安定しませんでした。そんな中行われたフランスの初代大統領選挙では、ナポレオンの甥であるルイ=ナポレオンが圧倒的多数の支持を得て大統領に就任しました。また、この時の選挙は男子普通選挙で行われました。

ルイ=ナポレオンは反動的な議会と対立しつつ政治を行いますが、議会が反動化していき民衆の支持を失うとみると、議会に対してクーデタを仕掛けます。そして、自身の皇帝就任を再び男子普通選挙で国民に問い、多数の賛成票を得て1852年に皇帝ナポレオン三世として即位します。この1852年から普仏戦争によって体制が倒れる1870年までをフランス第二帝政と言います。

1857年 セポイの反乱

語呂:セポイの乱、インド人は御難

イギリスやフランス、ポルトガルなど、東インド会社の設立以降さまざまなヨーロッパ勢力が進出していたインドですが、18世紀の七年戦争に連動した争いでイギリスがフランスを打ち破ると、最終的にイギリス一国の支配となります。

イギリスの産業革命によってインドの伝統的な社会経済構造が破壊されていくと、イギリスに対する不満が高まり、1857年に東インド会社の傭兵(セポイ)たちが反乱を起こします。しかし、反乱は翌年には東インド会社によって鎮圧され、さらにムガル皇帝も廃位されます。これにより、インドはイギリスの植民地となりました。

1870年 普仏戦争の開始、第二帝政崩壊

語呂:ルイ皇帝から人が離れる普仏戦争

オーストリアとの戦争に勝利してドイツ統一への道を着実に歩んでいたプロイセンでは、宰相ビスマルクがフランスを敵としてナショナリズムを高揚し、ドイツ南部諸州を味方につけることを望んでいました。ビスマルクはフランスの世論がドイツに対して敵意を抱くように報道操作を行い、フランスでは反ドイツ感情が一気に高まります。

軍隊の弱体化を知っていたナポレオン三世は戦争に消極的でしたが、反ドイツ的な側近に引きずられ開戦します。結果的にスダンの戦いで皇帝が捕虜となり、第二帝政はあえなく崩壊してしまいました。その後フランスは国防政府が樹立しますが、同時に労働者によってパリ=コミューンも樹立され、血なまぐさい内乱状態となります。

翌1871年にはフランス国防政府が降伏して戦争は終結します。フランスは多額の賠償金に加え、アルザス・ロレーヌ地方をドイツに割譲しました。また、プロイセンはヴィルヘルム一世のドイツ皇帝戴冠式をヴェルサイユ宮殿で行い、ここにドイツは統一をはたします。しかし、一連の結果は独仏間に大きな軋轢を残し、第一次世界大戦まで尾を引きます。

1890年 アメリカフロンティアの消滅

語呂:アメリカの辺境を象徴 フロンティア消滅

ピューリタンの入植から独立戦争、南北戦争を経て一つの国へとまとまっていったアメリカ合衆国ですが、その間に西部への開拓はどんどん進んでいきました。最終的に西部が開拓しつくされ、フロンティアが消滅したのは1890年頃と言われています。

また、国内のフロンティアの消滅は、アメリカを外の世界へと進ませるきっかけのひとつとなりました。それでも、第二次世界大戦前まではアメリカは外の世界に干渉するべきではないとする勢力も強く、常に海外情勢に干渉していたわけではありません。

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